「36 ぷらす 3」1周年運行
感謝のエピソード

普段ご家族へ伝えきれていない「39(感謝)の気持ち、または「36ぷらす3」に関する
エピソード(思い出)をご記入いただきました。当選された方のエピソードをご紹介いたします。

ニックネーム:マエダ アヤ様

今年の夏休み。大の電車好き、小学5年生の息子はほぼ毎日ひとり、家で留守番をしています。
わたしが毎朝通勤の時に乗る電車が毎週木曜日に「36ぷらす3」とすれ違います。
初めて見たときから「なんて豪華で素敵なんだ!!」と写真を撮って息子に見せていました。
目をキラキラさせて喜ぶ様子がとても嬉しくて、毎週木曜日は「36ぷらす3」の写真を撮ってメールで息子に送る習慣になりました。そのメールに「ぼく宿題がんばるからね」「お皿洗っといたからね」と返信がきて心が“ジーン”として日頃の39を伝えたいと思いました!!(できればサプライズしたくて息子にはヒミツにしたいと考えています)
希望する降車地は、子供たちの大好きなおばあちゃんがいる鹿児島!!ウイルス感染を心配して2年間会えていなかったので「36ぷらす3」に乗って、大好きな人に会いに行きたいです。

ニックネーム:1番わがままな亮祐様

突然の異動辞令。6月9日からワクチン接種に関する業務に従事することにな り、その日から、朝早く家を出て夜遅く帰ってくる生活が始まりました。休日も週に1日だけとなり、子どもたち2人と十分な時間を過ごせなくなりました。
そんな中、6月30日に長男と長女が発熱。子どもたち2人が同時に入院することとなり、話し合う暇もなく母親である君が、入院中ずっと付き添ってくれました。
ペッドの上に3人で寝てるんだよ。テレビ電話で微笑みながら教えてくれた時の君の疲れた表情青に励ましの言葉の一つもかけられませんでした。今思えば、途中で君に代わって、私が2人の人院に付き添えたのではないかと反省しています。その時は、新しい仕事を覚えるのに必死で、そこまで考えが及ばなかったのだけど。
長男が先に回復し退院。もうすぐ3歳のわがまま盛りの甘えん坊。コロナ禍でお母さんと面会ができないため、すごく寂しかったと思います。そんな彼のため、竹下駅の車両基地にたびたび行きました。大好きな鉄道を見ている間だけでも、寂しさを忘れてくれていたかな。
長女も順調に回復し、後遺症の兆候もなく7月31日の1歳の誕生日を迎える前に退院することができました。私はといえば相変わらず朝早く家を出て、夜遅く帰ってくる生活。今の仕事は9月末までといわれていますが、仕事に専念できているのは、君と二人の子供たちの理解と協カのおかげです。このような状況に陥り、支えられているありがたさが身に染みます。
本当にありがとう。そして、もうしばらくよろしくお願いします。
亮祐より

ニックネーム:植松様

コロナ禍の中、結婚することになりました。本来なら披露宴等を行いたいのですが、時節柄、両家の家族だけの食事会になってしまいました。付き合い始めて1年間。ほとんど静岡県内でデートして、旅行という旅行はできない情勢でした。今、感染拡大傾向にありますが、幸いなことにワクチン接種も終え、10月9日の結婚式を控えています。
高校時代、周遊券を使って南九州に友人と旅行した思い出があり、当時最新型だった鹿児島本線の特急ハイパー有明号の大きな窓から颯爽と流れる海沿いの景色に興奮した覚えがありますが、新幹線開業後は鹿児島本線から特急がなくなり、36ぷらす3でしか味わえなくなりました。八代海や錦江湾などを眺めながら走る特急列車に乗りたいのですが、結婚後の日常生活ではなかなか旅に出るのは難しく、チャンスは新婚旅行ぐらいしかありません。また、4年前に他界した父は鉄道員で、母との新婚旅行も南九州だったと聞いています。両親も新婚旅行の時に2人で鹿児島本線の特急列車から海を眺めたのではないかと思います。
新幹線は早くて快適ですが、最近は移動を楽しむ旅をローカル列車ではなく豪華特急に乗ってみたいと思っていたところ、ちょうど新婚旅行しようとした日に設定があるのも何かの縁。当選したら、夫婦一緒に海沿いを走る列車の旅を楽しみたいと思います。

ニックネーム:聡美様

私は特急つばめで客室乗務員をしておりました。
その頃は朝早い勤務から夜遅い勤務まであり大変でしたが私が客室乗務員をしていること、JR九州で勤務している事を嬉しそうに自慢している父を見てとても嬉しかったです。
高校3年生の時に「客室乗務員募集」のポスターを駅で見てから高校で就職活動をせず、進路が決まらないまま卒業しましたが、それを許してくれた両親には心から感謝しております。
憧れの客室乗務員の試験には2回落ち、高校卒業から1年3ヶ月後、3回目の試験で合格した時は合格の喜びと共に、あたたかく見守ってくれた両親へ感謝の気持ちで一杯でした。両親は客室乗務員時代に特急つばめに乗った事がありません。36ぷらす3に変わりましたが、私が乗務していた787系、ビュッフェカウンターを見てもらいたいです。両親の前で客室乗務員ごっこしそうです(笑)ぜひ両親と私で787系の旅をさせて下さい。

ニックネーム:マナティ様

私たちが感謝を伝えたいのは36ぷらす3の運転士さんです。
36ぷらす3がつばめだった幼少時代から787系つばめが好きで、父に買ってもらったつばめのピンバッチを筆箱に付けていました。
そのピンバッチは色褪せてしまいましたが、リニューアルされた787系36ぷらす3を初めて見た時、とても感慨深い気持ちになったのを覚えています。
今は電車好きの子ども達を連れて、鹿児島中央駅近くで見ています。線路の近くで見ているのを運転士さんが気づくと『ぷわーん』と汽笛を鳴らしてくれます。
子供たちも負けない声で『ぷわーん』と返事をします。
コロナ禍でどこへも行けない昨今、九州を走り続けている36ぷらす3。九州の色々な場所の風を運んできてくれてありがとうございます。私たちの木曜日のワクワクイベントです。これからも私たちに希望の風を運んできてほしいです。

ニックネーム:あらたん イチロー様

私は1946年(昭和21年10月20日生)の年金生活者です。自慢にもならないのですが、上皇后(美智子さま、昭和9年10月20日)とは一巡り(12才)違いの戌年です。
家族(妻・和子)は22年2月生まれですから干支は違いますが同学年の74才同士です。
昭和47年9月24日に結婚しましたので今年は49年目、来年は50年(金婚式)を迎えることになります。このような中、平成25年7月3日に5年生存率が極めて低いといわれる難病の膵臓がん手術をうけました。幸いなことに執刀医の先生、介護の方々のご努力により今年7月で8年が過ぎ9年目に入っています。
退院後は妻から自ら探してきた医学書?にスムージーが効くとのことで、毎朝作ってくれています。リンゴ、バナナ、人参、小松菜、大葉、ハチミツなど10種をミキサーにかけて飲んでいます。このスムージーの効果か、年に1回受けるCT検査で異状なく主治医は首を傾げています。
我が家は鹿児島中央駅近くにありますが、木曜日の午後4時過ぎに通過する「36ぷらす3」を見ながら、いつかは乗車してみたいネ!という妻の夢をかなえちゃりたく、また感謝の気持ちを贈りたくて応募しました。

ニックネーム:なおきママ様

わが家の4才の息子は、36ぷらす3の大ファンです!!
今年5月に初めて観て、すごーくかっこいいと1目ぼれです。
宮崎は土曜日宮崎空港駅発になる為、お兄ちゃんのサッカーがない時は、車で30分かかりますが、田吉駅に観に行きます。田吉駅は、2回通過するので、興奮する息子を2回観れます。ニコニコ最高の笑顔です。
通過するときは、手を振って、あっという間の速さに毎回びっくりしています。運転士さんが、手を振ってくれると手を振ってくれたと何度も言ってくれます。
7月に仕事が休みだったので、宮崎駅に到着する36ぷらす3を観に行きました。初めて止っているのを観て、たくさんのポーズをとりながら、写真を撮ってとうれしそうでした。その日から何時、明日、36ぷらす3に乗れるの毎日聞いてきます。今度みんなで乗ろうねと言いながらも、まだ乗れていません。
36ぷらす3と聞いただけで、反応してニコニコしてる姿を観たくて応募しました。

ニックネーム:スリーベアもんモン様

「オギャー!オギャー!」と阿蘇で元気よく産声をあげた初孫誕生の2016年3月。寝不足の娘を食事や洗たくなどでサポートする日々の私たち。
そんな中、突然の熊本地震。「大丈夫?」と一度目の揺れで心配してかけつけてくれた娘婿にすくわれました。
二度目の揺れは、ひと晩じゅう、グラグラと続きライフラインは寸断され不安が募るばかりで、眠れず家族みんなで声かけあい支えあいました。夜があけ娘婿の「熊本の道路は寸断されているので大分まわりで避難しましょう!」との勇敢な行動のおかげで、大分、宮崎経由で情報を拾いながら、ひ孫の世話をしたいと遊びに来ていた母の家、鹿児島へマイカー移動約10時間をしました。
その時授乳休憩に立ち寄った道の駅宇目!この宇目の地名を緑の路でみて、宇目の秘境駅を通ることを知り、あらためて5年前のあの日無事だったこと、家族みんなで助けあってすごした時間にありがとうを伝えたいです。
そして神秘にみちた自然を列車を通して堪能したいです。「シャボンちゃんで洗う!」と元気に幼稚園に通うようになった初孫も三姉妹の長女となり妹たちのめんどうをみて遊んだり、ママのお手伝いをしています。
成長に感謝です。ありがとう。

ニックネーム:春様

<主人への感謝の思い>

5年前、結婚を機に鹿児島を離れ、大分に住むことになりました。知り合いも、誰一人いない土地で、頼りになるのは、主人だけでした。元々、目の病気を持つ私でしたが、大分では合う病院がなかなか見つからず、一年後、掛かりつけだった鹿児島の病院に戻ることになり、二ヶ月に一回JRで5時間かけて通院することになりました。
遠方への通院は経済的にも負担がかかり、主人には申し分けない気持ちでいっぱいでしたが、「お金より目のほうが大事でしょ!」という主人の励ましに背中を押され、不安もだいぶ和わらいできました。大分と鹿児島の日帰り通院は、時間的に難しく、体力もいるので、実家の高齢の両親と会う時間も兼ねて、数日帰らせてくれる主人には感謝しきれません。いつも、温かく見守ってくれる主人の健康を祈りながら、私にできる範囲でこれからもお返しをしていきたいと思っています。いつも、ありがとう。

ニックネーム:あっちゃんママからたかひろ君へ様

たかひろ君へ、いつもありがとう。

朝はたかひろ君から寝ている時間から仕事に行き、帰りも20時や21時に帰り、一緒にいる時間が少なくて寂しい思いをさせています。たかひろ君のおかげでママは仕事を頑張れています。
電車が大好きで今年の夏休みは、電車でどこか行こうと話していましたが、コロナで願いは叶いませんでした。いつも「36ぷらす3」のパンフレットを見ながら、木曜日プランの寿司コースに行きたいと楽しそうに話していました。「36ぷらす3」の時刻を調べて、中津駅に停車する「36ぷらす3」、行橋駅で通過する「36ぷらす3」、一時停車する小波瀬西工大前駅に「36ぷらす3」見に行き、車両を隅々まで眺め、手を振るまでお見送りしています。そんな中今回の「36ぷらす3」の旅へご招待を見て、いつも頑張ってくれているたかひろ君にプレゼントをしたいと思いました。現在小学2年生、コロナで入学式もなく、仕事のため学童から学校生活から始まり、運動会もなく、小学1年生の思い出はありませんでした。小学2年生でもコロナが続き、制限されている生活、「36ぷらす3」の旅で思い出が作れたらと思います。いつも手を振る側から手を振られる側に

ニックネーム:池水 千鶴様

「今から帰ります」と仕事を持つ私は、毎日夕方主人に電話をいれます。「ただいま」と家に入ると、テーブルには温かいお料理が何種類か並びます。主人67歳、私63歳、私はまだ現役で仕事をしています。主人は60歳で定年退職し、今はジョギングと囲碁教室に通い時間が足りないと言っています。
主人の一日は、朝6時に起床し、私のお弁当のおかずをつくる事からはじまります。卵焼き、ウインナー、お魚を焼き、あるときは夕飯の残りと、私はそれを弁当箱に詰めるだけです。洗濯物干し、買い物、そして休日以外は、夕食の準備もしてくれます。図書館に通ったり、ネットで調べたりして、かなり手の込んだ料理にも挑戦して食卓にでます。
仕事を持つ女性にとって何よりも有難いことですし、自分の時間も有効に活用できます。
「お父さん、美味しいよ。すっごくいい味だね。」と二人の会話もはずみます。お互いにできる事をして、人生を楽しもうといつも会話していますが、今は何より感謝でいっぱいです。
年に2~3回夫婦でまた子供たち、孫たちと三世代で旅にでますが、何ものにも代えがたい、幸せを感じています。
お父さん、いつも有難う。もうしばらくお願いしますね。

ニックネーム:ころわんこ様

今年一月に父が他界し、母と二人になりました。母には直接感謝の気持ちを言えず、いつも何か言おうとすると、うまく言えないでケンカになってしまいます。
ですからここで母に伝えたい。
お母さん、お父さんがいなくなってからずっとありがとう。いつも「ありがとう」が言えず、ごめんね。これからもずっとよろしくね。二人で協力していうこうね。
今までありがとう。そしてこれからもよろしくね。

ニックネーム:TSUE様

介護・看病への感謝
昨年の12月3日に父が他界しました。
二十数年透析をおこない86歳で永眠、晩年は入退院を繰り返し昨年来の新型コロナの影響で病院への面枚も儘ならない状況でした。
この闘病生活では同居の母82歳、叔母91歳、妻58歳が献身的に介護、看病等おこないとても感謝しています。
初盆も終え12月の一周忌までの間に感謝の持ちとリフレッシュになるように旅をプレゼントしたいと思います。
長崎は91歳の叔母が高島炭鉱の病院で看護師として従事していました。
もう一度懐かしい長崎の景色も見せたいと思います。
家族への39(感謝)の気持ちを表現したいと思い応募いたしました。

ニックネーム:雨里ママ様

もう二度と旅好きな母が旅行を楽しめるときはこないだろうと、一日中カーテンを閉め切り空気がよどんだ部屋で寝込んだままの母の顔を見ながら、私は希望を失っていました。母はうつ病で、一歩も外に出られなくなってしまったのです。
元気だった頃の母といえば、JR九州のウォーキングやバスツアーなどの予定をカレンダーにいっぱい書き込み、その日を楽しみにしながら仕事と家事をこなすスーパーウーマンでした。JRの分厚い時刻表を見て旅行計画を立て、家中に貼った旅行先の景色や鉄道の写真を眺めながら、楽しそうに話をしてくれました。
回復の希望が持てない状態は、8年以上も続きました。しかし奇跡は起こるものです。数年前から症状は良くなっていき、現在84歳の母は、もう一度、列車の旅を楽しみにデイケアに通っています。
この春は母の希望で、「ゆふいんの森号」で温泉旅行を楽しみました。母は、旅ができる自信を感じたようで、「いつか絶対『36プラス3』と『ななつ星in九州』には乗りたいね。」と新たな旅に思いを募らせています。まだ「36プラス3」の思い出はありませんが、私は気品と威厳を感じさせるこの特別な列車に乗って喜ぶ母を想像するだけで、幸せな気持ちになります。
自分のことより家族や他人のことを優先してきた母には、余生は好きなことを存分に楽しんでもらいたいです。母にとっても、今も昔も「列車の旅」が特別で、一番楽しい時間ですから。

ニックネーム:kazu様

平成25年3月に福岡で定年退職を迎え、現在は妻の出身地である東京都在住です。私は結婚が遅かったので、妻とは年の差結婚になります。私が55歳の時に結婚し、5年間福岡市で暮らしました。福岡在住時は、子どを授かることはなかったのですが、東京都に転居してから息子が誕生し、現在は家族三人で楽しく暮らしています。
6歳になる息子が鉄道大好きで、今年の夏も鉄道の家族3人旅をしました。鉄道旅の終点は博多駅だったのですが、博多駅についてすぐに「特急 観光列車 36+3」の列車に遭遇しました。息子も私も初めて見るかっこいい列車に夢中になって写真を撮りまくりました。その後、博多駅の構内で、JR九州の特急をたくさん撮影して、来年の夏休みは九州の鉄道の旅をしようと息子と約束しました。
今回、応募しようと考えたのは、鉄道大好きな息子が「36+3」の列車に遭遇して、そのかっこよさに感動して、すぐにでも乗りたいと何回も懇願していたこと、そして、年の差のある私と結婚し、こんな素敵な息子までプレゼントしてくれた妻に日頃面と向かって言えない言葉である「39(感謝)」の気持ちを込めて列車の旅に招待できればと考えたからです。

ニックネーム:ひろじい様

36ぷらす3のホームで見た時の思い出

コロナ流行の前の年だったと思いますが、長崎駅にてお披露目があるとの情報をきき、写真好きの私と電車、汽車が好きな孫(幼稚園)と一緒に、さっそく見に行きました。
たくさんの人だかりでしたが、なんとかその雄姿を撮ろうとカメラを構えていたところ、たぶん搭乗員とは思いますが、制服をきた、関係者の方が電車の前を通り過ぎようとしているのをみて、孫が電車とその方に向かって手をあげ、体を真っすぐにして敬礼しているではありませんか。
おそらく、乗務員の方だと思うのですが、笑って敬礼して頂きました。周囲の方々は笑っていましたが、その時の孫の顔をみると、真剣な顔をしているのをみて私は少し恥ずかしさ感じましたが、我が孫ながら感心したものです。
孫は日ごろから電車が好きで、どちらかというと、乗るよりも運転席であるとか、外観より、車輪あたりを特に興味があるようです。今年の10月ごろに確か、門司港駅でしたか、鉄道の展示場があるので、行くような計画をしていましたが、コロナの影響でまよっていたところ、JRよりメールがあり応募しました。孫と一緒楽しめるといいなと思っています。
先日もJR千綿駅に、「海に近い駅」ということで、私共夫婦と孫二人をつれていきましたが、案の定、シーサイドライナーが止まると直立不動で敬礼しておりました。

ニックネーム:すず様

「ありがとう」こんな素敵な言葉なのになぜ素直に言えない時があるんだろう。
例えば、バスから降りる時、お店で買い物して商品を受け取る時、頭の中で考えなくても「ありがとうございます」と、すんなり言える。
なかなか、言えない場面は、家の中である。
今は夫と二人暮らし。退職してからは、家事も朝食作りから始まり、洗濯、掃除などやってくれる。だが、私は、感謝の言葉を言えていない。
コロナ禍の中で、当たり前が当たり前でなくなってきた。
去年は、結婚40年だったが、何もできなかった。
でも、今、元気でいる事の幸せを忘れてはいけない。
生きているうちに、たくさん話そう。
生きているうちに、思いを伝えよう。
そう。『ありがとう』と。

ニックネーム:ゆゆゆ様

ありがとう。今年やっと20歳になりました。あんなに長かった20年があっという間に過ぎました。
今まで育ててくれて本当にありがとう。小さいころ厳しくてうるさい母さんのことが嫌いであんなにも離れたくて仕方なかったのに、今では会えないのがさみしいって思ったり、隣にいっつもいてくれた存在っていうのが大きかったっていうのを感じました。20年という節目に母さんのいう"感謝"がようやく分かった気がします。それから影ながらずっと私のことを見守って励ましてくれるおばあちゃんとおじさんにも感謝を伝えたいです。今から親孝行をしながら、これから社会人として頑張っていくよ。いつもは伝えることができない「ありがとう」がちょっとでも伝わったら嬉しいな。また4人で一緒にどこか出掛けたいな。